
沖縄の各地をドライブしていると、コンクリート製の大きな構造物がたくさんあることに気づきます。これがお墓だと聞いてさらに驚きました。沖縄のお墓の不思議について調べてみました。
沖縄のお墓は大きい
沖縄のお墓の特徴は「大きい」「形が違う」「個人墓が多い」でしょうか。沖縄のお墓が大きい理由は以下の点があげられます。
- 風葬の習慣があったから
- 門中(むんちゅう)が葬られているから
- 清明(しーみー)などの行事が行われるから
昔の沖縄では風葬の習慣があり、その後、洗骨して厨子に移し替えて埋葬していました。そのために広いスペースが必要であったと考えられています。
また、お墓は仏壇と同様に親から長男へと受け継がれるもので、門中(むんちゅう)と言って父系の血縁の先祖代々が葬られるため、大きなお墓が
必要だったのです。
清明(しーみー)とは4月の清明節の頃に行われる行事で、お墓に重箱料理などをお供えした後にお墓の前でそのご馳走を食べます。お酒を飲んだり世間話をしたり楽しく過ごすので、宴会やピクニックのような印象です。親戚一同が集まるのが基本なので、ある程度の広さがないと大切な行事が出来ないことになってしまいます。
戦争中は防空壕のように使われたところもあったそうですが、これからは、そのような目的で使われないことを願います。
お墓の形
本土のお墓はお位牌に似た形をしていますが、沖縄のお墓は家に近い形をしています。これは、沖縄には仏教思想ではなく、独特の先祖崇拝の思想が根付いているからではないかと私は思います。沖縄のお墓に卒塔婆(そとば)がないのも、仏教ではないからなのでしょう。
破風墓(はふばか)
沖縄でもっとも古くからあるお墓の形です。破風(はふ)とは日本の伝統的な建築物の三角屋根の側面につけられている板のことで、風雨をふせぎます。破風墓も三角屋根が付けられていることから名づけられました。昔は王室にのみ許された形でしたが、明治時代になって庶民も破風墓を作ることが許されるようになりました。
亀甲墓(かめこうばか・きっこうばか)
屋根の形が亀の甲羅に似ていることから、この名前になりました。
亀甲墓は女性の子宮の形をデザインしていると言われ、人は亡くなったら母親の子宮に戻ることを意味しています。昔は士族にしか許されていませんでしたが、明治時代になって庶民も亀甲墓を作ることが許されました。
個人墓が多い
沖縄では檀家制度がなく、昔はお墓を作る時は個人の土地にお墓を作っていました。
今は霊園や寺院の墓地もありますが、歴史としてはまだ浅いのです。沖縄は出生率の高い県ではありますが、以前よりは少子化の傾向にあり、後継ぎがいないまま、高齢の墓主が亡くなってしまって所有者がわからなくなってしまうお墓が問題になっています。
沖縄県としては、基本的に新たに個人の土地にお墓を作る許可をしないで、霊園などに集約して無縁化を防ごうとしています。
那覇の街中、国際通りのすぐ近くでも、お墓を見かけることがあるのはそういう訳だったと考えられます。
現代の沖縄のお墓事情
沖縄ではテレビや新聞でもお墓や霊園のCMをよく見ます。本土では葬儀やお墓は”縁起の悪いもの”としてタブー視されている感じがありますが、
沖縄は”ご先祖様を祀る”と言ったイメージが強く、あまりタブー視されていないように思います。
現在では、沖縄の伝統的な形を守りつつ、少しコンパクトになってきたようです。昔からある大きなお墓を墓じまいして、コンパクトなお墓にうつすことも増えてきました。
これからはもっと少子化が進むでしょうから、自然葬や散骨なども増えそうですが、お墓のスタイルは変わって言っても、ご先祖様を大切に思う気持ちは伝えていきたいですね。