沖縄には亡くなった人との交流をすることが出来るユタと呼ばれる人がいます。そんなユタが語る沖縄のあの世の世界は、仏教のあの世とも日本人が考えるあの世とも少し違います。さて沖縄のあの世の世界とは?

沖縄のあの世には2つの世界がある

ご先祖様を大切にする「先祖崇拝」が有名な沖縄ですが、沖縄のあの世について考えてみると先祖崇拝だけでは説明が出来ないもう1つの世界があることが分かります。

まずは沖縄の文化とも深く関係のある「先祖崇拝」。先祖崇拝のあの世の世界は、「ニライカナイ」と呼ばれる特別な世界にあります。

ニライカナイというのは沖縄の東の海の彼方にあるといわれている「神様の世界」のこと。場所でいうと、沖縄本島最高の聖地と言われる「斎場御嶽(セーファーウタキ)」と琉球最高の聖地と呼ばれる「久高島」を結んだ線のはるか延長線上にあるといわれています。

ニライカナイは神様だけが住む場所といわれていて、死者の魂は人間界から離れるとやがてニライカナイへとたどり着くといいます。ただその魂はときおり人間の世界に戻ってきます。その場所が仏壇に祀られるトートーメー(先祖代々の位牌)や墓、さらには聖地と呼ばれる御嶽だといいます。そのためこうした場所でご先祖様の魂を祀るのです。

ただ沖縄には「死者の魂は生まれ変わる」という考え方もあります。死者の魂が肉体を離れると天に上がり、そして雨になって地上に戻ってきます。そして動植物に生まれ変わり、それを人間が食料として食べることによってその人の体の中で生まれ変わるという考えです。

こうして考えてみると沖縄のあの世の世界は「ニライカナイ」という神様の世界にあるとも言えますし、あの世という世界ではなく再び人間として生まれ変わるとも言えます。どちらにしても「亡くなった人の魂は今を生きる沖縄の人々の心の中心に存在する」ということなのでしょう。

沖縄では亡くなった人の体を模した骨餅を食べて再生を願う

沖縄では死後四十九日目に行われる四十九日法要の時に、49個(地域によっては50個)の白い餅をお供えします。この白い餅は大きな皿に山のようにして盛り付けます。そして一番上に置く餅だけ他の餅よりもひとまわり大きくします。

実はこの49個の餅は亡くなった人の体の骨を表しています。一番上に盛り付ける大きな餅は亡くなった人の頭を表すので「チブル(頭)餅」といいます。そしてお供えした骨もちは家族や親族たちですべて食べます。

「なぜお供えした49個の餅を故人と縁のある人たちで食べるか」というと、これこそが「復活を願う風習」なのです。

つまり亡くなった人の体を表す骨餅を家族や親族たちが食べることによって、亡くなった人の体(魂)がその人の体の中に入り込みます。こうして亡くなった人の魂は残された家族や親族たちの魂の一部となり、その後も共に生き続けることになります。特に亡くなった人の想いが詰まった頭の部分の餅・チブル餅は、故人に最も近い人が食べるのが習わしです。

昔は本当に骨を食べていたらしい

沖縄の方言に親類を表す言葉に「マッシシオエカ」「ブトブトオエカ」があります。それぞれを漢字で書くと「真肉親類(マッシシオエカ)」「脂肪親類(ブトブトオエカ)」となります。

実は骨餅を食べるという風習が出来るそのずっと前は、本当に亡くなった人の体を切り取って食べていたというのです。ただ食べる部分は親類によってきまっていて、近親者は魂に近い部分の肉(真肉)、遠い親せきや知人などは魂から遠い肉(脂肪)だったといいます。そのことから「マッシシオエカ」「ブトブトオエカ」という言葉が出来たというのです。

さすがにこうした大昔の風習は時代とともに形を変え、記憶の中からもいつの間にかに消えていきました。言葉そのものもいつの間にかに忘れ去られてしまいましたが、古い方言の中にはこうした風習があったことを示す言葉もあります。

たとえば宮古島の古い方言にはお葬式に出かけることを「プニシズ(骨をしゃぶる)」といいます。これは「骨を食べる風習があった」ということを暗示しているのでしょう。さらに八重山地方ではお葬式に行くことを「ピトゥクンナ(人を食べに行く)」といっていたそうですから、実際に肉を食べる風習があったということでしょう。

いずれにしても死者の身体を食べるという風習は「文明が進む以前の風習」といわれています。文明が進むと死者の魂を体の中に取り入れる風習として豚や牛・馬などの肉を食べるようになり、さらに時代が進んだことで49個の骨餅に変わったと考えられます。

沖縄の人は死んだ人の魂とともに生き続ける暮らしを今も続けている

沖縄のお葬式の風習も時代とともに変化してきました。風習の中には意味を知ってしまうとびっくりするようなこともありますが、そうした風習の原点にあるのは「大切な人の魂と共に生き続ける」という沖縄らしいあの世の考え方があるような気がしてなりません。

沖縄の人々がご先祖様を大切に思うということは、言い換えれば自分の魂を大切に思っているということ。それこそが沖縄の人たちが大事にする「先祖崇拝」の原点なのでしょう。だって名前も知らないご先祖様の魂も、今を生きる沖縄の若者たちと共に生きているのですから…。

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